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石畳の小道を行くと広がる大きな縁側は、 “内でも外でもない”地域の皆のコミュニケーション空間。 農と食と場で人をつなぐ。「風のえんがわ」。

KAZE NO ENGAWA

風のえんがわ

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石畳の小道を行くと広がる大きな縁側は、
“内でも外でもない”地域の皆のコミュニケーション空間。
農と食と場で人をつなぐ。「風のえんがわ」

GO GOTSU special interview #06
 

 

「なんだか、おとぎ話の世界に出てきそう…」。ぽつりと誰かがつぶやいた。国道から一本道を逸れて、でこぼこの砂地の駐車場に車を停め、手づくりの小さな門をくぐったら、大きな木々の陰から、そのお店は見えてくる。

もともとは養蚕小屋だったという、二階建ての立派な古民家をリノベーションしてつくられたカフェ「風のえんがわ」。オーナーの多田十誠さんが、人が集い交流する場所、コミュニティが生まれるような場所をつくりたいという想いで開いたカフェだ。

印象的なのは、大きく開け、明るい光が差し込む「縁側」だ。店名の由来にもなったこの縁側を中心に、子連れのお母さんや、若いカップル、おばあちゃんの集まりまで、幅広い年代の人たちが思い思いにまったりと過ごしている。

「農業で人と人をつなげる」ことに志を抱く多田さんは、お店のまわりに広がる畑でこつこつと野菜を育てながら、その場で採れた野菜を調理し、カフェで振舞う。美味しい野菜や石見産の魚を使ったランチ以外に、フルーツたっぷりのタルトや季節の紅茶も人気だ。東京や海外で料理人としての経験を積んだ十誠さんの料理を求めて、市外からの客足も絶えない。

「何時間でもゆっくりしていってください。ここはそういうふうに使ってほしいんです」と十誠さん。本当に居心地のいい時間が、ここには流れている。

 

「農業で人をつなげる」というコンセプト


 

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多田 十誠さん(以下、十誠さん):草刈り、建設土木、農業をやりながら、カフェをしています。いまいちばん関心があるのは農業です。今年は自分たちで小さい田と畑を一からつくりました。採れたものをカフェでも出していますし、子どもが自由に採って食べるといった体験もさせたいですね。将来的には果樹を植えて、お店の周り全体を散歩が楽しめるくらいの場所にしたいと思っています。

お店の立ち上げにあたっては江津市のビジネスプランコンテスト(GO-CON)に参加したんですが、そこで発表したものをコツコツとやっている感じですね。GO-CONでは、「農業で人をつなげる」というコンセプトを発表しました。田舎はコミュニケーションが良いというイメージがありますけど、実際にはあまりコミュニケーションがないという側面があるのも現実なんです。

地域のコミュニティも昔ほどしっかりしていないと思います。昔は職業も自営が多かったので自由な時間があったと思いますが、最近は共働きが多いし、そういった自由な時間があまりないんじゃないでしょうか。逆に都会の方が、近所関係はなくてもサークルなど趣味で繋がれるきっかけがあるように思います。東京が長かったので、こちらに帰ってきてそんな印象がありました。

 

内でも外でもない、「縁側」のようなコミュニケーション空間を創りたい


 

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十誠さん:いろいろと考えて、人との関係をつくるのはやはり「カフェ」だと思いました。もともと食に関する仕事をやっていたこともあって、まずは経済的な柱としてカフェを始めました。それに、「農業」とそこから生み出される「食」もコミュニケーションのきっかけにできるのではと考えたんですね。

「縁側」に着目したのは、縁側というのは(家の)「内」でも「外」でもない独特のコミュニケーションが生まれる空間だと思ったから。ここを、そういうコミュニケーションの空間にできればと思ったんです。

お店をやったおかげで、知り合いが集まるようになりました。妻はダンスをやっていたので、表現活動をしていないとストレスがたまるタイプ。そういうこともあって、そうした表現活動をしたいと思っていたり近い考えを持っていたりという人が集まることのできる場にもしています。ゆくゆくはギャラリー機能や表現活動ができる空間をさらに充実させていきたいと思っています。

 

フレンチのシェフになるも、「料理はその土地に根ざしたものでは?」という疑問


 

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十誠さんのこれまでの半生を教えてください。

十誠さん:江津市出身で、中学まで江津にいましたが、実家が酪農をやっていたこともあって、高校からは三重県の農業高校に進学しました。高校を出て、大阪の調理学校に行きました。そのころは外国に行きたかったので、フランス料理をやろうと思って。2年目からはフランス校へ1年行きました。日本に戻って来て、東京でフランス料理店に就職。代官山や横浜のホテルで料理人として働いて、その後、修行をしにもう一度一年フランスに。

でも、フランスに行ってから、フランス料理をやめようと思うことがあって。「日本でフランス料理ってどうなんだろう」という疑問が湧いてきたんです。料理はその土地に根ざしたものだと思ったので。それから悩んで、写真家になろうと思って東京に帰ってきたのが28歳のときでした。東京に戻ってからはフレンチレストランを手伝ったり歌舞伎町でゴミ拾いをしたり、合間に写真を撮ったりしながらフリーターをしていました。

弁当屋でバイトをしていたときに、その弁当屋がやっていた小平の居酒屋を買わないかと誘われて、31歳くらいで居酒屋を始めました。約5年居酒屋をやって、居酒屋を後輩に譲り、奥さんが実家の長野に帰るのを追いかけて、長野へ行ったのが36歳でした。

 

ケータリングをしながら、地域のことを探る


 

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十誠さん:長野へ移住した後、奥さんと結婚して、子どもが2人生まれて、その時には江津に帰るつもりでした。奥さんの実家が長野だったので、長野で時間をちゃんと取ってから移住しようと思っていたので、すぐには島根に帰りませんでしたが、子どもの保育園入園のタイミングで島根へ移住しました。

移住後は定住財団の制度を使って、1年間有機農業の研修を受けました。その後農業をやろうと思ったんですが、いきなり農業だけでは食っていけないので、親が関わっている建設会社の経営のテコ入れに1年だけ携わり、その後、カフェをやることを見据えてケータリングを始めました。ケータリングは飲食店の営業許可が不要なので、いろいろ探るのにちょうど良かったんです。それを1年間やりました。

ちょうどその頃、地域に関わる活動も始めたんですけど、活動仲間と、将来子どもに何が残せるかを話していたときに、やっぱり農業をやってみようということになって、風のえんがわを立ち上げることになりました。

 

田舎で子どもを育てたい


 

 

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江津に戻ろうと思った最初のきっかけは。

十誠さん:東京の居酒屋の2号店を出さないかという話があったんです。でも、そうなると一生東京だな、と。ずっと東京にいるわけじゃないだろうという気持ちがあったので。

そういった気持ちは昔からあったのでしょうか。

十誠さん:居酒屋で江津のものを使っていたので、それもあるかもしれません。もともとは全く帰るつもりはなかったんですが、店で出す魚やイノシシなど江津の実家から送ってもらっていて、そうしたところから江津への気持ちが出てきたのかなと思います。

長野に住み続けることは考えませんでしたか。

十誠さん:自分が田舎で育ったので、田舎で子どもを育てたいという思いがありました。子育てをするなら、僕が育った場所に近い環境でと思ったのも長野に移住したきっかけですが、長野は思ったよりも都会でしたね。そうしたら、江津に戻って何かできないかと考え始めました。江津以外の選択肢はなかったですね。

 

江津に帰ったほうが夫らしさを発揮できる


 

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江津へ戻ろうと思った時に何か障害のようなものはありましたか。

十誠さん:江津に戻るということを親に言いづらい気持ちが少しありましたね。けれど、東京の居酒屋をやっていたときに親とよく連絡を取っていたので、すごく言いづらい、ということはありませんでした。親は長野で暮らすんだと思っていたみたいですけど。

奥さまとは江津へ移住する話はしていましたか。

十誠さん:少しだけ。自分の様子を見て気づいていたと思いますけど。

裕子さん:夫が江津に帰りたがっているという気持ちには気づいていました。早く言えばいいのに、と(笑)。江津に帰ったほうが夫らしさを発揮できると思っていたので。

奥さまにとっては初めての土地になったわけですが、不安などはなかったのですか?

裕子さん:先を心配するタイプでないので、住むところはそこまで気にしていませんでした。ただ、田舎だからといって、かんたんに農業ができるというものではないな、とは思いました。

地域の人とのコミュニケーションについては?

裕子さん:正直、(長野などとの)地域性の違いはよくわかりませんが。(コミュニケーションというのは)どちらかというと人それぞれ、人の違いによるものだと思うんです。結局は、自分とその人との関係に対する気遣いだと思います。

 

帰ったら帰ったで、生きていける


 

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市や県などの制度や江津の状況などは移住の前に調べていらっしゃったのでしょうか。

十誠さん:調べませんでしたね。帰ったら帰ったで、生きていけると思ったので。心配はしていませんでした。選ばなければ仕事はあると思っていました。実家の土地があったこともあり、農業をやっていけば、食べていけるだろうと思っていましたね、当時は。でも、帰ってきたら浦島太郎状態でしたよ。中学までしか江津にいなかったので、江津のまちのことが全然わかりませんでした。

手づくりの暮らしを楽しんでいる


 

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江津の好きなところはどこですか。

十誠さん:浅利の海ですね。今は風車が建って昔と風景が変わってしまいましたが、あの辺りは子どもの頃よく遊んだ場所です。酪農をやっていたので、馬に乗って海に行ったりもしました。

裕子さん:ヨーロッパみたいな赤瓦と、蔓の生えている山の風景ですね。長野の山は木なので蔓がたくさん生えているのが珍しくて。そういった風景がここ独自で好きなんです。

江津への移住を検討している人に、アドバイスなどがあれば教えてください。

十誠さん:ここは自然があって、自由です。ただ、地域で生きていくという意味では、挨拶など基本的なことができないと住みにくくなるとは思います。

裕子さん:引っ越してきて最初に、お年寄りを訪問する仕事をしていたんですが、おじいちゃんやおばあちゃんたちは、自分の好きなこと、自分のスタイルをしっかりと話してくれて、昔から手づくりの暮らしを楽しんでいるんだなと思って感動しました。そうしたことが息づいている点が、江津のいいところだと思います。

 

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