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2016年3月10日“雨に濡れる冬枯れの草の色を、和紙にしたい。”自然や季節への感性を、現代の生活の中に復活させる。「石州勝地半紙」の“景色からのものづくり”。
2016年3月14日RYOKAN HIGUCHI
旅館 樋口
山あいの老舗旅館に、オープンテラスのカフェや
鮮魚イタリアンが登場! “二股思考”で、
由緒ある温泉街の伝統を革新する「旅館 樋口」。
GO GOTSU special interview #08
江津市の市街地から車でおよそ20分。周囲を山に囲まれた谷あいに、旅館や民家が体を寄せ合うように佇ずむ温泉街がある。聖徳太子の時代に、天竺より入朝した法道仙人が発見し、名湯が湧く“福有の里だ”ということで名づけられた「有福温泉」だ。
細い路地や石段、昔ながらの商店など懐かしい風情が残る温泉街。日帰り入浴ができる外湯と貸し切り露天風呂があり、地元はもちろん全国の温泉ファンや旅行客などが、その優しい泉質を楽しんでいる。
そんな温泉街の一角に、樋口忠成さんが経営する旅館 樋口はある。都内の大学へ進学して、東京でマーケティング会社を立ち上げるなど、バリバリのビジネスマンとして働いていた樋口さんだが、家業の旅館を継ぐため、30歳のときに江津へUターン。旅館に誰でも利用できる居心地のよいカフェを新設し、そこで“鮮魚イタリアン”を提供するなど、「今までの温泉街のイメージにない新しいこと」を展開。
しかし、それは一方で、地元の漁港と協力し地場で獲れた新鮮な魚を使うといった、「地元の良さを活かし地元に根差したこと」の追求でもある。
東京でのビジネス経験を活かし、旅館だけでなく温泉街全体の活性化にも挑戦する樋口さんに話を聞いた。
この土地固有のオリジナリティを
どういった経緯で今の仕事に携わるようになったのでしょうか。
樋口さん:江津から都会に進学、就職して、東京に約8年いました。実家が旅館をやっていたのですが、宿泊業って、経営が大変になった時に銀行から「息子さんを帰らせてください」と言われるんです。そんな時はだいたい長男が帰らされる。(旅館 樋口もそのような状況で)やらざるを得ない状況でした。「都会に出たけど、商売があるので帰ってきました」の典型的な業種ですね。
私もその典型で、30歳の時に戻ってきました。現在は旅館、カフェの経営の他、外湯の運営受託事業、ペットペンションの経営などにも携わっています。
六次産業化の一環で、地元の漁港と連携して“鮮魚イタリアン”を出したり、石見焼のプロモーションをしたりもしています。島根ならではの“神話の国”のイメージを使うとか、この土地固有のオリジナリティを取り入れて、都会と違う体験を創ろうとしています。スタッフの意見を取り入れながら、やりたいことをやっている感じですね。
“都会”と“田舎”それぞれの知恵の良いところを活かす“二股思考”
東京ではどのようなお仕事をされていたのですか。
樋口さん:自分でマーケティング会社をやったり、コンサル会社の下で一緒にやらせてもらったりしていました。都会に出てよかったことは、お金のことやウェブのこと、マ-ケティング、事業の組み合わせなどについて学べたことですね。ウェブ領域に関しての経験や事業計画の策定の経験など、当時のことが今の仕事に活かされていると感じます。
旅館の仕事を始めたころはどんなことをされていましたか。
樋口さん:旅館の立て直しですね。決算書をチェックしたり、そこから資金繰りをしたり。ただ、東京の仕事も残していたので、江津と東京を行ったり来たりしながら。
そこには必然的なところもあると思いますね。情報交流やマーケティングのノウハウといった、ある種の“都会的な”知識を活用しないと、田舎でもかなり難しいと思っています。すべてを田舎だけでやっていると間に合わないんですよ。都会と田舎とのバランスの中で、お互いの違いや良さを持ちつつ、経営に活かしていくのが良いと思うんです。
何もしなければ、いつか有福は無くなってしまう
有福カフェのような多様な展開は、どのような経緯ではじまったのですか。
樋口さん:当時旅館が6、7件あったのですが、江津市との関係の中で、もう少し地元の観光を表に打ち出してほしいと要望がありました。このまま何もしなければ将来的には有福の飲食店や旅館が無くなってしまうだろうなと危機感を感じていたので、将来に備えてなにか対策しないといけないと思い、まずは民間資本で露天風呂などを整備し、街の再生と若手が連帯保証を組むプラットフォームをつくりました。やれる、やれないはとりあえず置いておいて、私も含めて若い世代が3、4人でやりはじめたんです。
自分では、リーダーという意識ではなくて、人が少ないからやらざるを得なかった、という感じです。まちの先輩方は組合長をやったり自治会長をやったりしていて結構忙しいし、まちの中で動けるやつを見つけて役割分担をしなければなりませんでした。結果として、飲食店や貸し切り露天風呂、宿泊へのお客さまが増え、交流人口は増加しています。いまでは、夏の週末なんて大忙しですから。
まちにあるものを重ねていく
樋口さん:有福のまちにあるものをいろいろ重ねて滞在時間が長くなるようにサービスを連携させています。滞在時間の中で楽しみが増えるような工夫をして。有福のまちをウロウロしてもらうことがコンセプトです。
いろいろな取り組みを何とかとりまとめていくための、しぶとい“しんがり”みたいな存在が地方には必要だと思います。小奇麗にバラバラにやるだけだと、みんな潰れちゃう。私のような長男が、地方でそういったところを担っているのかな、と。
“都会”と“田舎”との二股をかけるライフスタイル
江津に戻って良かったことや気づきはありますか。
樋口さん:生活スタイルや働き方の時間軸に余裕が感じられるところですね。都会の忙しい人は一日に膨大なメ-ルをチェックするじゃないですか。私はこちらに来てからあまり見ないんです。そういった意味で、根本的なところで、自分のペースが保てています。ただ、スペックで比較するとお給料の額やお店の多様性、出会いの頻度といったことなどは都会の強みですね。
でも、毎日の暮らしはほんとうに素敵ですよ。朝起きて美味しいコーヒーを飲んで、昼にイタリアン、夜に美味しい肉を食べて。スタッフはみんな親切だし。都会の人から見ると、「この人、テキトーでいいなぁ」とか思うかもしれませんけど(笑)。
今後UIターンを検討している人に向けてアドバイスやメッセージをお願いします。
樋口さん:田舎でも“都会的に”やらないとしんどいところはたくさんあります。下手にノリでやってしまってはいけないこともある。ただ、やりたいことはやればいいと思うんですよ。
そこそこ収入が安定していれば、田舎は暮らしやすい。都会と二股をかけて、交流したり、どちらにも滞在したりしながらのライフスタイルもいいんじゃないでしょうか。今はそういう働き方ができる時代だと思います。都会で10万、田舎で10万稼ぐ、というイメージ。どちらかに偏るとしんどいんじゃないでしょうか。
GO GOTSU! special interview #08 / HIGUCHI RYOKAN